約 97,225 件
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/190.html
<魏 252年> <蜀漢 252年> <呉 252年> 252年 太元二年→神鳳元年→建興元年(呉) 皇帝 孫権(呉大帝)→(死亡)→孫亮 皇后 潘氏→(死亡)→ 皇太子 孫亮→(空位) 三公(呉) 太傅:→諸葛恪(大将軍) その他の要職(呉) 太常:滕胤 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大司馬:呂岱(前上大將軍) 大将軍:諸葛恪(前威北將軍) 驃騎将軍:朱據? 車騎将軍:? 衛将軍:→滕胤 上大將軍:呂岱(前鎮南將軍)→? 主な事件 二年春正月、前の太子の孫和を立てて南陽王と為し、長沙に居住させる。子の孫奮を齊王と為して武昌に、子の孫休を瑯邪王と為し虎林にそれぞれ居住させる。《三国志呉書呉主権伝》 二月、大赦。改元して神鳳。《三国志呉書呉主権伝》 皇后の潘氏が薨ず。《三国志呉書呉主権伝》 諸將吏は幾度か王表を訪れ福を請う。王表は亡去する。《三国志呉書呉主権伝》 夏四月、孫權が薨ず。時に年七十一。諡して大皇帝。《三国志呉書呉主権伝》 四月、孫權が薨じ、太子の孫和が即ち帝位に着く。大赦。改年する。是歲は魏の嘉平四年である。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 秋七月、孫権を蔣陵に葬送する。《三国志呉書呉主権伝》 建興元年閏月、諸葛恪を太傅と為し、滕胤を衛將軍領尚書事と為す。上大將軍の呂岱を大司馬と為す。諸文武で官位にあるものは皆進爵班賞があった。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 冬十月、太傅の諸葛恪が軍を率いて巢湖を渡り、東興に城を築く。將軍の全端に西城を守らせ、都尉の留略に東城を守らせた《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 十二月朔丙申、大風雷電《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 十二月、魏は將軍の諸葛誕、胡遵等に步騎七萬を率いさせて東興を囲む。將軍の王昶が南郡を攻める。母*丘儉が武昌に向かう。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 十二月甲寅、諸葛恪は大兵をもって赴き、戊午、兵は東興に到着して交戰する。大いに魏軍を破り、將軍の韓綜、桓嘉等を殺す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 是月、雷雨。天災で武昌の端門が壊れ、內殿も壊れる。これを裴松之によれば、孫權が赤烏十年に詔して武昌宮の材瓦を建康宮を修築する際に移したが猶端門內殿は残っていた。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》諸葛恪は遷都の意志があり、更に武昌宮を起こした。今災いがあったのは恪が新たに作った所である《三国志呉書三嗣主伝孫亮に引く吳錄》 誕生者 死没者 孫権:大皇帝 注 ▲PAGE TOP 251年<< >>253年
https://w.atwiki.jp/tsundereidayon/pages/522.html
孔明「おまえの処刑が決定したぞ」 馬謖「ああ」 孔明「馬鹿な事をしたな」 馬謖「いや。後悔はしていない」 孔明「心底、馬鹿野郎だな」 馬謖「おまえに比べればな」 孔明「・・なんであの時云うこと聞いてくんなかったんだよぅ!」 馬謖「間違った判断だったとは思わない」 孔明「ばか・・っ! ばかバカぁぁっ!」 馬謖「泣くなよ」 孔明「だ・・って・・」 馬謖「かわいい顔が台無しだぞ」 孔明「ば、ばかっ! 死んじゃえっ!」
https://w.atwiki.jp/imaska/pages/228.html
■高槻やよいの革新 - 『信長の野望・革新PK』 ◆上州高槻家・アイマス勢高槻やよい(たかつき・やよい) 如月千早(きさらぎ・ちはや) ◆上州高槻家・アイマス勢(オリジナル設定)上泉雪菜(かみいずみ・せつな) 上杉瑛莉香(うえすぎ・えりか) 上泉名為(かみいずみ・ななし) ◆上州高槻家・東方勢霧雨魔理沙(きりさめ・まりさ) 永江衣玖(ながえ・いく) ◆上州高槻家・三国志勢郭嘉(かくか) 陸遜(りくそん) ◆上州高槻家・らき☆すた勢泉こなた ◆上州高槻家・あかね色に染まる坂勢長瀬湊(ながせ・みなと) 西野冬彦(にしの・ふゆひこ) 椎名観月(しいな・みつき) ◆上州高槻家・魔法少女リリカルなのは勢エリオ・モンディアル ◆上州高槻家・史実武将勢長野業正(ながの・なりまさ) 長野業盛(ながの・なりもり) 上泉信綱(かみいずみ・のぶつな) 小幡信貞(おばた・のぶさだ) 長尾当長(ながお・まさなが) 長尾憲景(ながお・のりかげ) 上杉謙信(うえすぎ・けんしん) 宇佐見定満(うさみ・さだみつ) 真田昌幸(さなだ・まさゆき) 真田幸村(さなだ・ゆきむら) ◆天海家天海春香 菊地真 三浦あずさ ◆他勢力武田信玄 [部分編集] 高槻やよいの革新 ~もやし畑に降り立った少女~ 使用ゲーム 信長の野望・革新PK シナリオ・担当勢力 群雄集結・改造シナリオ 上州高槻家 シナリオの設定 上級 スタート地点(現在の都道府県名) 上野国(群馬県) 登録武将 アイマス、オリジナル、東方、らき☆すた他 史実武将の扱い 準主役。登録武将との絡みあり、キャラブレイクあり 紙芝居・ストーリー 紙芝居多め 投稿時期 2008年7月2日~ 関連タグ 【高槻やよいの革新】【白水P】 ニコニコ大百科 記事なし マイリスト 高槻やよいの革新 関連サイト 白水の普遍的動画指南:うp主ブログ 備考 - ■高槻やよいの革新 - 『信長の野望・革新PK』 千早の日(7/2)に開始されたiM@S架空戦記シリーズ×革新PKの10作品目。 大幅な修正を施しており、混沌伊織様の野望に次ぐ大幅な改造シナリオを用いている。 ※キャラ紹介には一部ネタばれもありますが、ご了承ください。 ◆上州高槻家・アイマス勢 高槻やよい(たかつき・やよい) 突然戦国時代に飛ばされ、何やら解らぬうちに上州高槻家の初代当主となる。 明るく前向きな性格。笑顔の陰で悩んだり泣いたりすることはなくなった設定。 太陽のような明るさが無意識的にやよいのカリスマを生み出している。 外見とは裏腹に並外れた力の持主。 如月千早(きさらぎ・ちはや) やよいと同じく戦国時代に飛ばされる。 呼び方が「やよい」なのは裏設定のためです。 長野家でもトップクラスの武を持っている。 ◆上州高槻家・アイマス勢(オリジナル設定) 上泉雪菜(かみいずみ・せつな) 設定では上泉信綱の娘。雪歩にそっくりだが雪歩≠雪菜である。 長野業正曰く「信綱の娘とは思えない」信綱を反目教師として学んだ結果、信綱をも超える才覚の持ち主となった経緯がある。 義兄である名為を慕っている。 新陰流の師範代。信綱が道場を留守にすることが多いので、代理で門下生に稽古を教えている。 当初の呼び名は「ゆきな」の予定だったが、はっきりと区別したほうが分かりやすい、という理由で現在の呼び名となった。 上杉瑛莉香(うえすぎ・えりか) 長尾為景の三女。上杉謙信は姉にあたる。 上杉家の中でも卓越した才能を持ち、「越後の龍」の異名を持つ謙信とは対称的に「越後の朱雀」の異名を持つ。 交友関係を築くために長野家に送られた。長尾憲景が保護責任者という形で面倒を見ている。 名前は「春香」+「中の人の名前」を足して2で割ったような形。 上泉名為(かみいずみ・ななし) 上泉信綱の養子。正体はファン代表P。設定はL4Uより一部流用。 新陰流師範代。道場を空けることが多い信綱の代わりに稽古を教えていることが多い。 弾幕避けは零距離マスタースパークをかわす程度の実力。剣術はこなたと互角に打ち合える。剣術の強さは名為≧雪菜≧こなた≧千早≧絶対的な何か≧信綱である。 ◆上州高槻家・東方勢 霧雨魔理沙(きりさめ・まりさ) 東方シリーズの主人公の一人。「弾幕はパワーだぜ!!」の名言の主。 イメージ的には脳筋と思われがちだが、実際は頭がいいという設定がある。ただ、幻想郷の中では異質なるものが多いために、その頭脳の良さが発揮されないので脳筋と思われやすい面もある。 永江衣玖(ながえ・いく) 東方緋想天が初登場となる。 とある攻撃が某歌手のポーズに酷似していることから「サタデーナイトフィーバー」の異名を持つ。 竜宮の使いであり、雷属性。 ◆上州高槻家・三国志勢 郭嘉(かくか) 通称:不良軍師。 でも、やるべき時はきちんとやる人。 その才能は孔明をも凌ぐとも言われていた。 高槻家ではその才覚を生かして軍師として働いている。 陸遜(りくそん) 呉の名将の一人。無双シリーズでは火のイメージがある(編集者談) 総合的なスペックが高いので三国志シリーズでは第一線で活躍してくれる。 高槻家では郭嘉と共に戦略・戦術の考案を執り仕切っている。 ◆上州高槻家・らき☆すた勢 泉こなた らき☆すたの主人公格の一人。オタクである。 しかし、運動神経は抜群でスペックは高い。ゲームも相当のやりこみよう。 オタクの道をひたすら突っ走る。その情熱は凄まじいものである。 素質を買われて新陰流に弟子入りする。 アニメ版のCVは平野綾。 ◆上州高槻家・あかね色に染まる坂勢 長瀬湊(ながせ・みなと) PC版およびコンシューマー版では主人公:長瀬準一の実の妹。(アニメ版は不明) 非の打ちどころがないパーフェクトな妹。アニメ版では過去の経験に拍車がかかっている。 アニメ版の本人曰く体術はマスター済み。コンシューマー版及びアニメ版のCVは平野綾。 西野冬彦(にしの・ふゆひこ) 準一の親友。成績優秀、運動神経抜群、容姿端麗と非の打ちどころがない。 でも、ちょっと変わった趣味の持ち主である。準一や担任の先生との仲は良い。 初期では生徒会副会長。コンシューマー版及びアニメ版のCVは石田彰。 椎名観月(しいな・みつき) 初期の方では生徒会会長。学園のアイドル。準一たちの1こ上の先輩。 特徴的なのは明らかに重力を無視した髪型。某新機動戦記の主人公機の異名を付けられるほど凄い髪型。 コンシューマー版及びアニメ版のCVは田中理恵。 ◆上州高槻家・魔法少女リリカルなのは勢 エリオ・モンディアル フェイト・T・ハラオウンが保護責任者として預かっている子ども。雷属性の魔力資質を保有。 10歳にもかかわらず彼の思考能力は既に大人顔負けの素質を持つ。 使用デバイスはアームドデバイス「ストラーダ」 CVは井上麻里奈。 ◆上州高槻家・史実武将勢 長野業正(ながの・なりまさ) 長野家元当主。やよいの養父となる。 高性能から東のGとも言われる。本当に強い。 長野業盛(ながの・なりもり) 業正の次男。高槻家の立ち上げによりやよいの義兄となる。 名為やこなたとは同門の好であり、仲は良い。 上泉信綱(かみいずみ・のぶつな) 上泉家当主にして新陰流師範。元の名は上泉秀綱だったが、武田信玄より一字を賜り改名した。「剣聖」とも呼ばれる。 この作品ではヘタレ。極度の親馬鹿。雪菜には頭が上がらないご様子。 太閤立志伝ではチート技でもある「転」の使い手。 信長の野望・革新ではアイテムなしで最高の数値(武力:115)を叩き出している。 史実では、この人の子孫は明治~昭和時代に海軍で活躍している。 小幡信貞(おばた・のぶさだ) 高槻家家臣。苦労人。 最近、このままでいいのだろうかと思い悩んでいる。 長尾当長(ながお・まさなが) ギャグギャラ兼出オチ。以上 長尾憲景(ながお・のりかげ) ノリのいい人。そして何かと空気が読める人。 上杉謙信(うえすぎ・けんしん) 本作では女性説を採用。グラはあれだが食いしん坊ではないのであしからず。 信長の野望の公式チートの一人。統率力は史実武将の中で最高数値を叩き出している。 本作では瑛莉香の姉にあたる。 宇佐見定満(うさみ・さだみつ) うさみ~などの愛称で慕われる武将。知力は優秀な武将。 史実シナリオではイベントで亡くなってしまうので、登用したいと思ったら迅速な行動が必須。 本作では瑛莉香とは幼少の頃からの付き合い。 悩める謙信の心の支えとして尽力していた。 真田昌幸(さなだ・まさゆき) 城マニア。でも常識人。 自分を「普通」と言い張る人。謙虚な姿勢だが、あなたは既に普通ではない。 建築適性はSであり、支城建設では最前線で活躍してくれる人でもある。 真田幸村(さなだ・ゆきむら) 無双シリーズで一躍その名を轟かせた人物。 徳川家康に「日之本一の兵」とまで言わしめるほどの武勇を持つ。 BASARAではある意味絶叫キャラになった。 統率と武力では第一線での活躍が期待できる。建築適性Sかつ最前線で戦える能力は非常に役立つ。 ◆天海家 高水寺城に飛ばされた春香、真、あずさが中心となって大名家として名乗りを上げた。 元の大名家は高水寺斯波氏(清和源氏の流れを組む)。 元々の大名勢力の都合により大幅な強化がなされている(主に登録武将の割り振り) 天海春香 天海家当主。アーケード版&L4Uの主人公的ポジション。 何もないところで転ぶことができる。 わた、春香さんは統率力抜群のアイドルですよ!! 菊地真 天海家所属武将。アイドルの中では卓越した運動能力の持主。 れっきとした女の子。あんな可愛い子が男の子のはず(ry しかし、脳筋。 三浦あずさ 天海家所属。アイドルの中ではみんなの保護者的位置。 胸囲の外交力は伊達じゃない。あと、アホ毛がやけに鋭い。 決して一人にしてはいけない(いろんな意味で) ◆他勢力 武田信玄 コーエーの公式チートの一人。作品中では謙信に対して熱烈な愛情を向けている様子。 史実では男色家の疑いあり。 こう見えて源氏の末裔なので、やっぱり油断できない。
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/12.html
<魏 263年> <蜀漢 263年> <呉 263年>? 263年 景元四年(魏) 皇帝 曹奐(字景明・魏常道鄉公) 皇后 (空位)→卞氏 皇太子 三公(魏) 晋公:→司馬昭(相国) 相国:→司馬昭(晋公) 太傅:司馬孚(前太尉) 太保:→鄭沖(前司徒) 太尉:高柔(前司徒) →(死亡) →鄧艾(前征西將軍) 司徒:鄭沖(前司空) →鍾会(前鎮西将軍) 司空:王祥(前司隸校尉) その他の要職(魏) 錄尚書事:司馬昭(大将軍)→ 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:司馬昭(大都督を加号)→ 驃騎将軍:王昶 車騎将軍:孫壹 衛将軍:? 地方官 司隸校尉: 冀州牧: 幽州牧: 并州牧: 青州牧: 徐州牧: 兌*州牧: 揚州刺史:? 雍州刺史:諸葛緒 交州牧:孫壹? 梁州: 主な事件 四年春二月、また大將軍に爵位を進め九賜を具えるように命じた。前の詔と同様であった。しかしまた固辭して沙汰止みとなった《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 夏五月、詔に曰わく「蜀は小國で土地は狹く民は寡ない。しかし姜維は虐げてそれらを酷使し、止める気もない。先年破れた後、なお沓中に留まって耕作している。羌族を勞役し民は命を全うできない。人を致して人に致されずが兵家の上略だ。蜀が恃れ賴るのは唯姜維だけである。今、征西將軍の鄧艾に諸軍を督帥させ、甘松に赴き沓中で姜維と交戦せよ。雍州刺史の諸葛緒は諸軍を督して武都に赴き、高く樓を築き、首尾応じて討て。もし姜維を捕らえたならば、東西より並進して巴蜀を掃滅せよ」また鎮西將軍の鍾會に命じて駱谷経由で蜀を討たせた。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》秋、蜀征討の詔勅が下った《三国志魏書鄧艾伝》 秋九月、太尉の高柔が薨ず《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 冬十月甲寅、また大將軍に位爵を進め九賜を具えるよう命じた。前の詔と同様であった。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十月癸卯、皇后に卞氏を立てる《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、大赦《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、鄧艾、鍾會が率いる軍は蜀を征討し至る所で勝利する。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、蜀主の劉禪が艾に降る。巴蜀は皆平定される。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、魏帝は晉公の司馬昭に命じて相國と為し百揆を総攬させる。侍中、大都督、錄尚書は返した。《晋書帝紀太祖文帝昭》 十二月庚戌、司徒の鄭沖を太保と為す。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月壬子、益州を分けて梁州を置く。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月癸丑、特に益州の士民を赦し、また五年間租賦之半分を免除する。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月乙卯、征西將軍の鄧艾を太尉に、鎮西將軍の鍾會を司徒と為す。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》十二月、蜀征討の功績から詔勅によって鎮西将軍鍾会を司徒に任じ、県侯として領邑一万戸を加増した。二人の子を亭侯に取り立て領邑千戸を与えた。《三国志魏書鍾会伝》 皇太后が崩御する。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》十一月、明元郭皇后が崩御した《三国志魏書鍾会伝》 誕生者 死没者 諸葛瞻(蜀の丞相諸葛亮の子) 鍾イク(鍾会の兄・病死)
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/20.html
<魏 226年> <蜀漢 226年> <呉 226年> 226年 黄初七年(魏) 皇帝 曹丕→曹叡(魏) 皇后 郭氏(文德郭皇后・安平広宗の人)→皇太后に。 三公 太傅:→鍾繇 太尉:華歆(前司徒) 司徒:王朗(前司空) 司空:陳群(前鎮軍大將軍) 九卿 その他の要職 大司馬:→曹休(前征東大將軍) 大将軍:→曹真(前中軍大將軍) 驃騎大將軍:司馬懿(前撫軍大將軍) 主な事件 七年春正月、許昌に行幸する。許昌の城南門が故無く自ら崩れる。帝は心から之を嫌う。遂に入らず《三国志魏書文帝紀》 正月壬子、洛陽宮に還る《三国志魏書文帝紀》 三月、九華台を築く《三国志魏書文帝紀》 夏五月丙辰、帝の病篤く、中軍大將軍曹真、鎮軍大將軍陳群、征東大將軍曹休、撫軍大將軍司馬宣王を召す。並びに嗣主を輔政するよう遺詔を授け.後宮の淑媛を遣わして昭儀以下実家に帰す《三国志魏書文帝紀》 夏五月、文帝は病篤く、曹叡を皇太子と為す《三国志魏書明帝紀》 五月丁巳、嘉福殿において帝は崩御した。時年四十《三国志魏書文帝紀》五月丁巳、曹叡は皇帝に即位する。大赦。皇太后を太皇太后に、皇后を皇太后と尊ぶ。諸臣に封爵し各々格差有り《三国志魏書明帝紀》 五月癸未、母の甄夫人に追諡して文昭皇后とす《三国志魏書明帝紀》 五月壬辰、皇弟の曹蕤を立てて陽平王と為す《三国志魏書明帝紀》 六月戊寅、首陽陵に葬る。自殯及び葬送は皆終制をもって從事する《三国志魏書文帝紀》明帝は送葬せんとするが、曹真、陳群、王朗等が暑熱のため固く諫めたため止した《三国志魏書文帝紀に引く魏氏春秋》 八月、孫權は江夏郡を攻め、太守の文聘は堅守する。朝議では兵を発して救わんとするが、曹叡は孫権が勝てないことを予見して、先ず治書侍御史の荀禹を遣わして邊方を慰勞させる。禹は到ると、縣兵及步騎千人を山に登らせ狼煙を挙げた。孫権は退走した《三国志魏書明帝紀》 八月辛巳、皇子の曹冏を立てて清河王と為す《三国志魏書明帝紀》 吳將諸葛瑾、張霸等が襄陽を攻撃する。撫軍大將軍の司馬懿は之を討ち破り張霸を斬る。征東大將軍の曹休はまた其別將を尋陽に破る。論功行賞があり各々格差があった《三国志魏書明帝紀》 冬十月、清河王の曹冏が薨ず《三国志魏書明帝紀》 十二月、太尉の鍾繇を太傅、征東大將軍の曹休を大司馬に、中軍大將軍の曹真を大將軍に、司徒の華歆を太尉に、司空の王朗を司徒に、鎮軍大將軍の陳群を司空に、撫軍大將軍の司馬懿を驃騎大將軍と為す《三国志魏書明帝紀》 この年、後の明悼毛皇后は曹叡が皇帝に立つと貴嬪となった《三国志魏書后妃》 誕生者 死没者 曹丕(字子桓):魏文帝。 ゼイ玄(娘が孫登の妃・リツ陽侯)《呉書潘濬伝》 呉範(病死)《呉書呉範伝》 張霸:司馬懿に破れ斬られる
https://w.atwiki.jp/sangokusiwiki/pages/21.html
第一回クイズ大会 暇なのか暇じゃないのか、分かりませんがクイズ大会を開きます。主催者は黄権公衡です。今回は三国志関係から出します。1~10まで問題を出し、多い人が優勝です。因みに得点は合計55点。1問目は1点、2問目は2点、3問目は3点...という感じです。得られる物はクイズ王の称号・・・です。自己満足の名誉ですが、ご了承をw 回答方法はコメントに1『○×○』 2『△××』という感じで・・・締め切りは3月10日23 59.59とします。では、問題。 特に指示が無い場合は字は必要ありません 番 問題 01 魏の初代皇帝は誰でしょうか? 02 蜀の諸葛亮が死前付いていた職は丞相・相国のどちらでしょうか? 03 劉禅の幼名はなんでしょうか? 04 劉璋を諫めて勘気に触れて広漢の県長に左遷された人物は誰でしょうか? 05 諸葛謹(呉)と諸葛均(蜀)の関係はなんでしょうか? 06 三国志正史で董卓軍配下武将である、華雄を斬った武将は誰でしょうか? 07 蜀漢二世皇帝劉禅の第五子は誰か? 08 三国志を著した陳寿は後に晋に遵えたが、元々は何処の国の人でしょうか? 09 袁術が偽帝として勝手に立てた王朝は何ですか?(ヒント:寿春) 10 魏に所属し、反乱を失敗して三族まで殺された、諸葛亮のいとこに当たる武将は誰でしょう? 1曹丕(文帝)2丞相3阿斗4黄権5兄弟6孫堅7劉尋8蜀漢9成10諸葛誕 -- 諸葛霊 (2007-03-10 20 35 49) 1曹丕 2丞相 3阿斗 4黄権 5兄弟 6関羽 7劉諶 8蜀漢(巴西郡安漢県) 9仲 10諸葛誕また来ます♪ -- 名無しさん (2007-07-22 16 18 59) 1曹丕2丞相3阿斗4黄権5兄弟6関羽7劉諶8蜀漢9成10諸葛誕 簡単すぎる。 -- 飛将軍・呂布 (2011-08-17 18 34 38) 名前 コメント 参加者記録(黄権公衡が記録します) 名前 点数 備考 諸葛霊 48
https://w.atwiki.jp/genso3594/pages/41.html
正史 三国志 正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫) はっきり言うと「読み物」ではない。あくまで「史料」である。 読み物として読むには、「魏伝武帝記」などの「曹操・孫権(孫堅・孫策)・劉備」の伝を読むと、歴史の流れがつかめる。 後はお気に入りの武将の伝を読んでいくといいだろう。 また、武将別の索引からどこに名前があるかわかるようになっていて、すごく便利。 管理人もこれに助けられて、ここが充実している。感謝。 三国志演義 三国志演義〈1〉 (徳間文庫) こちらは子供用。入門書として十分。 三国志 上 (岩波少年文庫) 安能務氏のものある。絶版中だけど。 どれにしても、正直、最初は読みづらい。 しかし、子供用から入れば読みやすいだろうと思う。 「読み応え」はどちらも十分。 また、安能氏のものは、三国志演義自体にメスを入れている。 なので、吉川三国志のような痛快さは消えて、正史の注釈を読んでいるような気分になる。 あと、演義ではスーパー軍師の諸葛亮を「ヘボ」と位置づけている珍しい本。 三国志新聞 三国志(三国志演義)を時系列ごと新聞形式で綴ったもの。 写真は中国電視台の「三國演義」。ちゃんと「広告」も載せている。細かい。 一回改訂されたんだけど、それも絶版なのかな。
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/109.html
<魏 237年> <蜀漢 237年> <呉 237年> 237年 青龍五年→景初元年 (魏) 皇帝 曹叡(魏) 皇后 毛氏(明悼毛皇后・河內人)→(死亡) 三公 燕王:公孫淵(自称して自立する。改元して紹漢元年。百官を置く) 太傅:(空位) 太尉:司馬懿(前大将軍) 司徒:(空位)→陳矯(前尚書令)→(死亡) 司空:(空位)→衛臻(前尚書僕射) 九卿 衛尉: その他の要職 大司馬:公孫淵(樂浪公・前車騎將軍) 大将軍: 驃騎大將軍:→ 車騎將軍:→ 地方官 荊州刺史:胡質 幽州刺史:母*丘儉 主な事件 景初元年春正月壬辰、山茌県で黃龍が現れたと伝わる。これを有司が奏上し、魏が地統を得ている為として建丑之月を正月とすべしと述べた《三国志魏書明帝紀》 三月、曆を定め、改年し孟夏四月とした。服色は黃を尊び、犧牲には白を用い、戦の事には黑く首が白い馬に乗り、大きな赤の旗を建て、朝会には大きな白の旗を建てた。改めて太和曆を景初曆と言う。其春夏秋冬、孟仲季の月は正歲(現在の暦)と同じではないといえども、郊祀、迎氣、礿祠、蒸嘗、巡狩、蒐田﹑分至、啓閉、班宣時令、二十四節季の早い晚い、敬授民事、皆現在の暦と同じ順序とした《三国志魏書明帝紀》初め文皇帝が即位し漢から受禪した時、漢の正朔に従って改めず。帝は東宮にあった時論を著し、正朔は改めるべきで、受命之運を明らかにすべきと述べた。即位するに及んで、久しく放置されていたのを史官が改めてはと述べたので、三公、特進、九卿、中郎將、大夫、博士、議郎、千石、六百石に詔して博く議させたがまとまらなかった。帝は古典に拠って、甲子に詔して「今三統の順を推察すると魏は地統を得ていて建丑之月をもって正月と為すべきだろう。青龍五年三月を改めて景初元年四月と為す」《三国志魏書明帝紀に引く魏書》 五月己巳(5月2日)、洛陽宮に還る《三国志魏書明帝紀》 五月己丑(5月22日)、大赦《三国志魏書明帝紀》 六月戊申(6月12日)、京都に地震《三国志魏書明帝紀》 六月己亥(6月3日)、尚書令の陳矯を司徒と為す。尚書僕射の衛臻を司空と為す《三国志魏書明帝紀》 六月丁未(6月11日)、魏興郡の魏陽、﹑錫郡の安富、上庸を分けて上庸郡と為す。錫郡を省き、錫縣を魏興郡に属させた《三国志魏書明帝紀》 有司が奏上するに、「武皇帝は乱を廃し正に変えしたので魏太祖となり音楽は武始之舞を用い、文皇帝は受命天に応じて魏高祖となり、音楽は咸熙之舞を用い、帝は治を興して魏烈祖となり、音楽は章(武)[斌]之舞を用います。三祖之廟は萬世において壊さず、その他の四廟は親しさに合せて迭毀するようにしましょう」と。《三国志魏書明帝紀》 秋七月丁卯、司徒の陳矯が薨ず。孫權は將の朱然等二萬人を遣わして江夏郡を囲む。荊州刺史胡質等は迎撃し退走させた。初め孫権は使者を遣わして海路より高句驪と通じ遼東郡を襲おうとした。幽州刺史の母*丘儉は諸軍及び鮮卑・烏丸を率いて遼東の南の境に屯す。璽書で公孫淵を徴し淵は兵を発し叛く。儉は軍を進めて討ち、雨が十日も降り続く中対陣し、遼水が氾濫する。詔をもって儉の軍を還えす。右北平の烏丸單于が婁敦を攻略し、遼西の烏丸都督王護留等は遼東に居座る。率いてきた部族の者は儉に従って內附する《三国志魏書明帝紀》 七月己卯(7月14日)、遼東の將吏士民に詔して淵に脅され略され降ることができなかった者を一切赦す《三国志魏書明帝紀》 七月辛卯(7月26日)、太白が昼に見える。淵は儉が帰還すると遂に自立して燕王と成る。百官を置き、紹漢元年と改元する《三国志魏書明帝紀》 青・兗・幽・冀の四州に大いに海船を作るよう詔す《三国志魏書明帝紀》 九月、冀・兗・徐・豫の四州の民が洪水に遭う。侍御史の循行を遣わして溺れ死んだもの及び財產者を失ったものに在所の官倉を開き救う《三国志魏書明帝紀》 九月庚辰(9月16日)、皇后の毛氏が卒す《三国志魏書明帝紀》 冬十月丁未(10月13日)、月が熒惑を犯す《三国志魏書明帝紀》 十月癸丑(10月19日)、毛后を悼み愍陵に葬る《三国志魏書明帝紀》 十月乙卯(10月21日)、洛陽南の委粟山を圜丘と為す《三国志魏書明帝紀》 十二月壬子(12月19日)冬至、祭祀を始める《三国志魏書明帝紀》 十二月丁巳(12月24日)、襄陽郡の臨沮・宜城・旍陽・邔の四縣を分けて襄陽南部都尉を置く《三国志魏書明帝紀》 十二月己未(12月26日)、有司は奏上し、文昭皇后の廟を京都に立てられますように。襄陽郡の鄀葉縣を分けて義陽郡に属させる《三国志魏書明帝紀》 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/161.html
<魏 223年> <蜀漢 223年> <呉 223年> 223年 黄武二年(呉) 皇帝 曹丕(魏文帝) 三公(呉) 呉王:孫権 丞相:孫邵 その他の要職(呉) 太常:? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大将軍:? 驃騎将軍:? 車騎将軍:? 衛将軍:? 主な事件 二年春正月、魏の曹真は軍を分けて江陵の中州に拠る。《三国志呉書呉主権伝》 是月、城江夏山。四分暦を改めて乾象曆を用いる。《三国志呉書呉主権伝》 三月、曹仁は將軍の常彫等を遣わして、兵五千をもって油船に乗り込み、濡須の中州に渡る。曹仁の子の曹泰は軍を引いて急に朱桓を攻める。朱桓は之を拒み、別に將軍の嚴圭等を遣わして常彫等を擊破する。《三国志呉書呉主権伝》 三月、魏軍は皆退却した。《三国志呉書呉主権伝》 夏四月,孫権の臣下は尊號を奉るべきと勧めたが、孫権は許さなかった。《三国志呉書呉主権伝》 劉備が白帝で薨去する。《三国志呉書呉主権伝》孫権は立信都尉の馮熙を遣わして蜀に行かせ、劉備の喪を弔う。熙字子柔。潁川人。《三国志呉書呉主権伝に引く吳書》 五月、曲阿で甘露が降ったと伝えて来た。《三国志呉書呉主権伝》 六月、これより先、戲口の守將である晉宗が將の王直を殺し、魏に寝返っていた。魏は蘄春太守と為す。晉宗は数度呉の邊境を侵犯する。孫権は將軍の賀齊に命じて糜芳、劉邵等を督して蘄春を襲撃した。邵等は宗を生け捕りにした。《三国志呉書呉主権伝》 冬十一月、蜀は中郎將の鄧芝を使者にして來聘した。《三国志呉書呉主権伝》蜀は馬二百匹、錦千端、及び方物を返礼とし、自今後、互いに往来することが常態となった。吳はまた産出物を返礼としその厚意に答えた《三国志呉書呉主権伝に引く吳歴》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 222年<< >>224年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/80.html
<魏 223年> <蜀漢 223年> <呉 223年> 223年 章武三年→建興元年(蜀漢) 皇帝 劉備(漢昭烈帝)→劉禅(後主・魏安楽公) 皇后 吳氏→長楽宮皇太后と為す 張氏(車騎將軍張飛の娘) 三公(蜀漢) 丞相:諸葛亮(前軍師将軍) 司徒: その他の要職(蜀漢) 錄尚書事:諸葛亮 太傅: 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府: 大将軍: 驃騎将軍:? 車騎将軍: 衛将軍:? 主な事件 章武三年春二月、丞相の諸葛亮は成都から永安に至る。《三国志蜀書先主伝》 三月、黃元は兵を進め臨邛県を攻める.將軍の陳曶は黄元を討って黄元軍は敗れる。黄元は流に従って長江を下るもその親兵が縛るところとなり、生きて成都に送られ、斬られる。《三国志蜀書先主伝》 劉備の病は篤くなり、孤を丞相諸葛亮に託し、尚書令の李厳を副と為す。《三国志蜀書先主伝》 夏四月癸巳、先主は永安宮に於いて亡くなる。時に年は63歳。《三国志蜀書先主伝》 五月、劉禅は成都に於いて襲位する。時年17、皇后を尊んで皇太后と為す。大赦して改元す。《三国志蜀書後主伝》建興元年五月、後主が即位すると、皇后を尊んで皇太后と為し、長楽宮と為す。父である呉壹の官は後に車騎將軍に至り、県侯に封ぜられる。《三国志蜀書先主穆后伝》 五月,劉備の棺が永安から成都に還る。劉備を諡して昭烈皇帝。《三国志蜀書先主伝》 建興元年夏、牂牁太守の朱褒が郡を擁して反乱す。是より先、益州郡の大姓である雍闓が反乱する。太守の張裔を呉に流す。郡に撚り通交せず。越嶲夷王の高定がまた叛く。《三国志蜀書後主伝》 秋八月、劉備を惠陵に葬る。《三国志蜀書先主伝》 この年、張氏を皇后と為す。《三国志蜀書二主妃子後主敬哀張后》 尚書郎[登β]芝を遣わして呉と固く好を結ぶ。呉王の孫権は蜀と和し使者を送る。是歲より通好す。《三国志蜀書後主伝》 誕生者 死没者 劉備 黄元